孫というご褒美のために子育てを頑張る それが人間?

B!

こんにちは。Naoです。

 

先日、七五三をしました。そのときにふと思ったのがこのタイトル。

 

ワタクシ、子育てがしんどい時期がありまして。今ももちろん楽になったわけではないのですが。なんでこんな苦しい思い、どうにもならない思い、忍耐に次ぐ忍耐、を日々繰り返さなくてはならないのだろう・・・と思ったりしています。

 

そんな私が、七五三の日に駆けつけてくれた私の母の幸せそうな顔を見て、ハッとしたのでした。

 

大泉逸郎さんの「孫」という歌が随分と昔に流行しましたが、孫って多分私が思っている以上にかわいいんですよね、きっと。残念ながらまだその状況にいないので、そのかわいさがどれほどなのかはわからないのですが。

 

そのかわいい孫が晴れ着を着る姿。

 

それは、言葉にならないくらい幸せな感じなんでしょう。もしかしてこれが、子育ての末に得られるご褒美なのかな、と思ったのです。

 

人は子供を産み終えてからも随分と長生きします。ほかの動物ではあまり見られないこと。それは「孫をみるため」にそういう風になっているのかもしれません。

 

生物学上、孫をみることが前提になっているのなら、孫をみるのが自然な状態。幸せを感じるようになっていても不思議ではないですね。

 

子育てがゴール、子供が自立したら一区切り、と思って毎日子育てしていますが、この認識を少し変えてみようと思いつきました。

 

「孫がゴール」「孫を見るために私は子育て頑張ってる」

こんな目標でいこうか、と。

 

もちろん、最近の若い人は結婚も、子供を持つことも選ばない人が多いのでわが子が孫を見せてくれるとは限りません。でも、「孫」という少し遠い目標を設定すると、子供の言動にいちいち目くじらをたてなくてもいいような、そんな余裕が生まれるように思います。

 

「孫」というながーいスパンで子育てをとらえなおしてみようかな、なんて思います。

ずばり、「孫」のための子育て。

 

Peace of I.

最新の記事はこちらから